
概要

加賀野菜“加賀れんこん”において現在栽培されている支那白花は晩生種で、生育適温が高いため4月から6月までの生長は鈍いが、7月中頃からの高温条件で旺盛に生育する。収量も多く、耐病性(腐敗病)に強く、浅根性で掘りやすいのが特徴であるが、葉はもろくて折れやすく、風害のあったときは損害を受ける。
れんこんは、澱粉質が多く粘りが強いのが特徴で、太くて節間が短く、肉厚である。特に先の方の二節がおいしい。
栽培は、4月下旬から5月下旬に種れんこんを植え付け、収穫は8月下旬から翌年の5月中旬まで市況に応じて長期出荷する普通栽培である。新鮮な泥付きれんこんとして、地元市場をはじめ、県外にも出荷されている。
歴史と現状

石川県でのれんこんの栽培は、藩政時代にさかのぼる。その伝播経路は明らかではないが、ずいぶん古く加賀藩五代藩主前田綱紀のころから栽培されていたと伝えられている。城中で栽培され、「ハスノ根」として上層武士間で薬用に供されていたといわれている。
その後、金沢市大樋町一帯(小坂地区)で栽培されるようになり「大樋蓮根」と呼ばれ、加賀の国の産物として公に栽培されるようになった。この大樋蓮根は、「地ばす」といわれる品種で、地下1m前後を匍匐するため、掘上げるのに極めて労力を必要とし、その収量も低く短小型であったが、明治中頃まで栽培が続いたとされている。
明治20年代になると、ようやくれんこんの商品性が注目されだし、「小坂蓮根」と呼ばれるようになり、食用として栽培されるようになった。
れんこんは、富農本岡三千冶・太吉父子、精農表与兵衛等によって新品種の導入に力を注がれた。明治30年代の「青葉種」、明治40年代の「枯知らず」、「赤蓮種」などの導入がある。
大正に入ると「白蓮種」、「南京種」、「赤蓮種」などがあり、大正中期、れんこんの生産拡大に功績のあった、本岡大吉氏によって加賀蓮根と命名され市場へ出荷された。
昭和30年代の主な品種としては、「備中種」、「支那蓮種」、「上総種」などがある。
これまで様々な品種が導入されて改良が加えられてきた。昭和40年代中頃、支那蓮種から選抜育成してきたのが、現在の品種「支那白花」である。才田、森本地区、河北潟干拓地まで加賀れんこんの栽培が広まり、一大産地となっている。
